島の医者になって、た頃もあった

GOOから引っ越しました、長崎県五島列島の島の医者から京都に帰って、今は家内の介護中

竹田街道9.

 東洞院通は東海道線を含む京都駅で途切れてしまうので、コの字型に折れて跨線橋を渡って南下します。
 京都駅の日本一長い0番ホームはお土居の上に造られたホームですので、京都駅を横切る跨線橋辺りが竹田口になると思います。
やっと口まで来ました、これからが本当の竹田街道です。

 東洞院塩小路までやってくると、右前方に大きな京都駅が見えてきましたので、ここを左折して京都駅を越えます。

 この角に鉄道事業発祥地の80周年記念碑が建っていて(1975(昭和50)年建立)、その説明文によると、
 東洞院七条下る鉄道踏切南側から伏見区下油掛通りまで6㎞の間で電車運転を始めたとありました。
と言うことは、今のJR東海道線路よりももっと北側を、1889(明治22)に新橋から神戸まで全線開通した東海道線は走っていたのでしょうね。

竹田街道8.

 途切れ途切れでなかなか竹田口まで到達出来てない竹田街道、飽きずに付いて来ていただくことを願います。
 衛星写真の地図よりこの方が判りやすいですね、更に東洞院通を六条通を越えて南へ(地図右に)進んでいます。

 左手に渉成園(ショウセイエン)の門が見えてきました、私には枳殻邸(キコクテイ)の名の方が馴染みが有ります。

 この地は河原左大臣源融(ミナモトノトオル)が奥州塩釜の風景を模して作ったと言う河原院(わざわざ瀬戸内海から海水を運んで来た)の跡に近く、ここに徳川家光から寄進を受けた本願寺が、石川丈山らと庭園を築き別邸としたそうです。
周辺に植えられた枳殻(カラタチ)の生垣にちなんで、枳殻邸と言われています。
 10年ほど前に行った時は、拝観料は無くいくらかの寄付金をでしたので、家内と二人で500円か一人500円ずつか箱に入れて、多めに入れたと思ってましたが、今は庭園維持寄付金として一人700円以上と明記されていましたので、まあ1000円入れるのでしょうね。

 右を向くと大きな大きな東本願寺が烏丸通の向こうに建っています。

ここの境内は無料で、たくさん鳩がいましたね、今でも居るのかなあ、末娘が小さい頃はこの鳩に追いかけられていましたね。

 この辺りまでくると京都タワーも見上げるようになりますね。
1964(昭和39)年に出来た高さ131ⅿの京都タワー、出来た頃は景観問題で反対もあったようですが、もうなじんでしまった灯台を模した塔、蝋燭の方が馴染みが有ります。
考えたら私はこの塔に昇ったことが無いですかね。

読書会

 荒神口にあるゲーテインスティテュート、ここで変わった読書会があると「京の辻から」と言うしっかりしたブログで知りましたので、二回目の参加です。

 KG+と言う写真展もやってたのですが、静かで綺麗な室内です、室外でもどこでも勝手な場所に座って、1時間ほど自分の本を読むだけの読書会ですが、なんかこういう読書会もあるようです。
写真のように、庭で読んでおられる方もあります。
 終わった後、パラパラと集まって、とりとめもない話をするのですが、50歳過ぎのびわ湖の街道本を読んでおられたマスコミ関係の人と、滋賀県は良いですねの話、その後は席を変えて、3人の女性(20代・30代・50代ですかね)と本の話、女性としゃべるの本当に私好きですね。

 ゲーテインスティテュートは何の跡に建ったのでしょうか、庭の緑も綺麗です。
電動自転車で30分かからず、新緑の候ですね。
この後あと1カ月ぐらいが電動自転車で走りやすい季節、色々取材に行かねばなりませんね。

 前回の家内の本棚の森絵都さん、気に入ったのでこの読書会で読みました。
 短編6作の最後が表題の「風に舞いあがるビニールシート」、直木賞はこの1作だけか短編全てで獲ったのか分かりませんが、素晴らしかったですね、主人公はもう中高生ではなく成人女性ですが、心にしみますし、ラストがちょっとびっくりします、2冊やるのは禁断ですが、家内の本棚に再掲したいぐらいです。

親孝行

 家内はデイで私は何もなく自由な火曜日です。
何故か火曜日を休みにしてる次男がランチに誘ってくれました。
 宅配生協受け取った後の井戸端会議で、近所の主婦推薦の近所に出来たうどん屋さん、息子は初めて私は2回目に、散髪後合流。
 天婦羅とざるうどん、大きいエビが入ってる天婦羅も美味しいですが、京うどん?かどうか知りませんが、やや柔らかめですがもっちりしていてかなり美味しいうどんです。
写真下のプラスティックはうどんを切る道具ですが、これで1200円、ちょっと前なら高いと言いますが、今のご時世なら安いぐらいですかね、まあ美味しいです。
 新年会や同窓会を除くと、今年初の外食かも、いつもは生協宅配弁当かライフの総菜、ちょっと貧しい食生活ですね。

 この数年ほぼアルコールを飲まなくなった私、次男は飲みませんし、長男・婿もあまり飲みません。
 息子と居酒屋で1杯なんてことは、残念ながら経験ありませんが、甘いものやコーヒーでしゃべるのは慣れてます。
 浅煎りコーヒーのこじゃれた店で。熱心に入れてくれたコーヒーを飲みながら、楽しく話が出来ました。
 これも親孝行なんですかね、まあ我が家は親不孝な子がいないのが良いです。

森絵都

 森絵都(モリエト)さん(1968~)2006年「風に舞いあがるビニールシート」で第135回直木賞も受賞されてる方ですが、私は全く知りませんでした。
家内はどこからこの本を見つけてきたのでしょうか、私が思ってる以上に家内は偉い人だったのかもしれませんが、私は知らなかったので、直木賞よりこちらを選んでしまいました。
 「アーモンド入りチョコレートのワルツ♪」1996年刊行、2005(平成17)年初版の2010(平成22)年12版角川文庫438円税別です。
「子供は眠るロベルト・シューマン〈子供の情景〉より」・「彼女のアリアJ・Sバッハ〈パリのゴルトベルグ変奏曲〉より」・「アーモンド入りチョコレートのワルツエリック・サティ〈童話音楽の献立表〉より」の三編からなっていました。
 家内はやっぱり島に行ってから読んだ本のようです、あまり二人で本の話をしたことが無いのですが、テレビの「週刊ブックレビュー」は二人でよく見てました(私は司会の児玉清さんより、アシスタントの中江有里ファンでしたが、最近コメンテーターとしてテレビで観ることが有って、嬉しいです)。

 我が家にはクラッシックのレコードやCDがあまりなく、書き集めてみました。
アーモンドチョコと言えば1粒で2度おいしいのグリコだと思っていましたが、生協にもライフにも、明治かロッテのアーモンドチョコしかありませんでした。
2度おいしかったグリコアーモンドチョコレートはどこに行ったのでしょうか。
と言うわけで、「アーモンド入りのチョコレートのワルツ♪」の背景はこうなりました。
明治アーモンドチョコも美味しかったですよ。
 3作品共に中学生ぐらいが主人公ですし、副題の音楽が絡んでいます。
正直3作品ともに大変良かった、私の好みにも一致しますね、特に1作目「子供は眠る」の従兄弟たちの夏休みのそれぞれの想いは、私の心に深く染み入りました。
これを珠玉の名作と言えば大袈裟ですし、ちょっと子供じみてると思いますが、こんないい作品を書く作者を知らなかった私は恥ずかしいですので、2冊読むのは家内の本棚のルール違反?かも知れませんが、「風に舞いあがるビニールシート」も読んでみたいです。

97.本之木餅

 娘家族が越前に旅行の途中長浜にも寄ったのでと、お土産にもらった 近江銘菓「 本之木餅(モトノキモチ)」 早速豊臣兄弟を宣伝に利用されていました。
 長浜の近く北陸自動車のインターにもその名がある、木之本(キノモト)と言う地名が有るので、てっきり木之本餅だと読んでしまいましたが、本之木餅です。

 創業大正15年 滋賀県長浜市木之本町の菓匠禄兵衛、地元木之本の名物を作りたいと言う想いから「木之本」を逆さにして「本之木餅(モトノキモチ)」という名を付けられ、読み方を変えて「ほんのきもち」と読んでも良いですよとのこと。

 沖縄県産の黒糖蜜入りの粒餡を、餅粉入りの生地で焼き上げています。
ネーミングもよかったのか、1ケ月に4万個以上売れてる大ヒット商品らしいです。

 素朴で結構美味しいです!
こんな風なお土産になってるお菓子でも、結構美味しい日本ですね。
 あっという間に新緑の季節、街路樹の花水木とツツジが目に飛び込んでくる、こんな気候が一年中続いたら良いのですが、今日の皐月賞もあまり自信ありません。

竹田街道7.

 衛星写真の地図にしてみたのですが、ちょっと判り難いかもしれませんね。
 東洞院通(青→)を五条→六条→京都駅の竹田口目指して南下しています。
 烏丸通はこの辺からもう奈良に行く国道24号線なのですね、そして東本願寺に遠慮してその道筋を東に少し寄せているのも、地図から判りますね。

 国道1号線でもある五条通を渡ります。
写真の東の方向が前回の伏見街道の起点五条大橋で、奥の山は東山です。

 この辺何もなっかたと思っていたのに、最近は民泊ホテルが沢山出来たのか、朝から外国人がたくさん歩いていました。
 その一角六条の手前に「泉仙」赤✖の仕出し専門本店がありました。
精進鉄鉢料理が有名で、私の小さい頃は法事と言えばここの料理でしたが、子供にとってはそれほど嬉しい料理ではなかったです。

 泉仙すぐ南の小さな駐車場の端にこんな石柱を見つけました。
 贈従五位赤松小三郎先生記念 

   横には慶応三年九月三日於此遭難
 誰だか全く知りませんでした。
赤松小三郎(アカマツコサブロウ)(1831(天保2)~1867(慶応3)は信州上田藩士として生まれ、洋式兵学者として薩摩藩に英国式兵学を教えたり、普通選挙による議会政治を早くから提言した人の様ですが、その薩摩藩の人切り中村半次郎にここで暗殺されたそうです。
多分生きて維新を迎えたら、新政府の要人にもなっていたと思いますし、主人公にして映画でも出来そうな人だったようですが、私は知らんことが多いですね。