島の医者になって、た頃もあった

GOOから引っ越しました、長崎県五島列島の島の医者から京都に帰って、今は家内の介護中

テレビで五島列島を思い出した

 参議院議員通常選挙の結果が出て、少しテレビを観る時間が増えてる私ですが、選挙結果は前回の政権交代の時よりなんかインパクトがなく、自民党少数与党になったのに、あまり変化が起きない感じですが、これからですかね。

そのテレビで五島列島が2番組で取り上げられることを、コメントで教えてもらい、観ましたら懐かしさがこみ上げてきました。

 写真は五島列島奈留島のトンボロの満潮時です、干潮になればこの島々は繋がる、中学地理で学んだ陸繋砂州(私は記憶なかったですが)です。

 開票日の夕方6時テレビの「世界遺産」で、奈留島江上教会が紹介されました。

 五島列島奈留島へは、気の迷いのように長崎県の離島医師の公募に応募して、上手に奈留病院に就職させてもらいましたが、今思い返しても幸せな10年間程でした。

江上教会へは(官舎から5㎞ぐらいかな)走ったこともありますが、夕方(九州の夕方は1時間ぐらい長い感じ)こんな風に夕陽があたった、南方特有の木々の間から覗く江上教会は素晴らしいです。

 一時は毎朝楽しんで観ていた「火野正平のにっぽん縦断こころ旅」は、丁度五島列島に行った20年ぐらい前から始まったと思いますが、今回再放送の福江島大瀬崎への旅(2011年)は、肝心の到着時には薄暗く見えにくかったですので、昼間なら展望台からテレビより綺麗に、こんな風に見えます。

 展望台までは何度も行ったのですが、大瀬崎灯台まで往復1時間ほどを歩いたのは3回ぐらい。

正平さんが行った数年前に、家内とフークで初めて灯台下明るしまで行った時の写真です。

この後にここにセットの家を建てて、映画「悪人」のラストシーンが撮られました。

 フークも元気で楽勝でした、しかしこのシャツまだ着てますね。

 五島を去る前にもう一度と、家内と大瀬崎灯台まで歩いた時の写真です。

ソーラパネルや鉄の安全柵が設置されてました。

 この先は東シナ海で上海まで陸地は無い、日本の西の端です。

フークはこの時はもう、この海のかなた西方浄土にいました。 

 歩いてる途中に見えた大瀬崎灯台、これから一旦下ってまた上がります。

一人でもう一度灯台までは行けないと思いますが、せめて展望台からもう一度は観たい景色です。

 こんな写真をパソコンから拾い集めてるだけで、懐かしくて涙目になっています。

後祭

 家内の大学の同級生で、私の高校時代の同級生の妹でもある友人が、長刀鉾ちまきを持って訪ねてくれましたので、これでいつもの年のようにちまきも揃いました。

 先祭の巡行は大雨の17日に終わりましたが、祇園祭はまだ後祭(アトマツリ)が有ります、私の実家にはこちらの方が近いので、後祭の方が私にはなじみ深いですので、19日(土)(家内はデイです)自転車で様子を見に行きました。

24日が後祭の巡行なんですが、この日から鉾立が始まったのか、北も南も観音山はまだ縄がらみと言う技法で立ててる真っ最中。

 大船鉾(オオフナホコ)もまだ骨組みだけですが、もう船の形にはなっていました。

 最近復活した鷹山は、昨日の作業で真松が根元で折れたので、1.5ⅿほど低くなって立てられていました。

 家内をデイに送り出して朝のうちだったので、人出も少なく、ゆっくり自転車を押しながら見物出来ました。

 役行者山の町内は、友人の話だと金を持ってるそうなので、町内の通りにこのように提灯を出して飾り付け、夜はなかなか見ごたえあると言ってました。

これで私の今年の祇園祭は終わりですかね。

 私の実家は更地にして昨年からコインパーキングにしてますが、祇園祭の時は提灯の柱を町内と同じように立ててました。

写真の青の四角のように道路に穴が開けられていましたので、まだ提灯を建てる穴は残ってるかなと見てみましたが、町内にも穴は残ってません。

祇園祭の間に提灯を建てる風習は。鉾や山のある町内だけに限定されてきたようです。

 友人の家に寄って長話をした後、鴨川に沿って自転車を走らせ(電動ですが)帰りましたが、その日も京都は35℃以上も、意外と気持ちよく走れますし、空の雲が懐かしい夏の頃のようでした。

 家に籠ってないで、夏の間も「京都へ。京都から」の取材に行きますかね。

東海道44.

 最後の1回かと思うと、なんか先へ先へと引き延ばしてしまう愚かな私ですが、「京都へ、京都から」の東海道編最終回になりました。

 旧東海道膳所(ゼゼ)辺り、左手の人家の間からOh!meの商業ビルが見えます、近江にかけてるんだと思います。

よく利用していた西武大津も撤退し、今はマンションに変わってしまい、膳所周辺も少し取り残された感じですね。

 旧東海道沿いにある義仲寺(ギチュウジ)です。

この地で討ち取られた木曽義仲(1154~1184)を葬った塚のある所から、この名が有ります。

それこそ西武大津で買い物したついでに、家族でここに寄ったのは、40年ぐらい前でしょうね。

 木曽義仲、子供の時から好きな武将です。

倶利伽羅峠(クリカラトウゲ)(名前からしてワクワクしますよね)で牛にたいまつをつけて平家の大軍を破り、京都を制圧したのに、偉そうで嫌な京都人と田舎者の義仲は水と油、結局源氏同士の勢力争いに敗れて、義経軍に討たれました。

享年31歳と知りました、私の持ってた印象よりはるかに若い!!

これがその供養塔、義仲公墓(木曽塚)です。

 旅の途中に大阪で亡くなった松尾芭蕉(1644~1694)(享年51歳)、今の私より老人の雰囲気がしますが、40歳代なら奥の細道歩くのも楽勝でしたでしょうね(痔で苦しかったとも聞きますが)。

遺言通り、門人に守られて大阪から川舟で淀川を上り、伏見街道東海道を運ばれて、遺骸はここまで来たようです。

 有名な句;木曽殿と 背中合わせの 寒さかな 

私は芭蕉の句と思っていましたが、実は芭蕉の弟子の島崎又玄(ユウゲン)の作で、しかも義仲公墓の後にある無名庵に滞在していた芭蕉を訪ね泊まった時の作らしいです。

だから義仲と背中合わせは芭蕉ではなく又玄さんで、道理で、芭蕉の墓と義仲の墓は背中合わせでなく、隣同士ですよね。

 木曽義仲の妻の巴御前の塚も境内にありました。

巴御前もかっこよく強く美人なので好きでしたが、NHK大河「鎌倉殿の13人」で和田義盛の妻になったのでびっくりしましたが、本当のことだったんですね、その時の女優さんも好きです。

和田義盛とも死に別れた巴御前は各地を巡り、ここでも義仲の菩提を弔って、どこともなく立ち去った後、木曽で90歳の生涯を終えたそうなので、美人薄命ではなかったようですね。

 東海道線膳所駅と昔は繋がっていて、スイッチバック形式で浜大津港と結んでいた路線をそのまま利用した、京阪電車石山坂本線京阪膳所駅、そこから乗車して浜大津三条京阪~京都地下鉄と乗り継いで帰りました。

 これで「京都へ、京都から」東海道編は終わりました。

次回からは、伏見街道編が始まります。

  乞うご期待!! 撮影快調!!!

祇園祭

 暑い暑い京都です、本日は家内がデイサービスで私は自由時間が有ったので、祇園祭を観に行っても良かったのですが、朝の間は散髪に行って、買い物をいつもとは違う店でして、その後は家でクーラーの下でWOWOWラグビーを見て過ごしただけで、家内がデイから帰ってくる時間になってしまいました。

 麻雀仲間の一人で、放下鉾に昔は乗ってた友人から毎年(島に行ってた時も)、この放下鉾のちまきを貰っていますので、昨年子供から貰ったまま玄関に飾り続けてる鉾のお菓子入れ物と一緒に、飾って我が家の祇園祭です。

 実家は祇園祭巡行が通る道筋にあったので、結婚で勘当されるまでは、毎年学校から帰った頃に通る鉾を2階から観てましたので、祇園祭はまあ故郷の祭りなんですが、一人で観に行くのはちょっと寂しい年に成りました。

 祇園祭のもう一つの品は、始めてすぐにミシュラン一つ星を貰った日本料理屋をやってる、ママ友の息子から、先日この鱧寿司も届いていたので、家内(少しだけですが)と一緒に食べました。

 せっかく京都にいるのに、今年の祇園祭はこれぐらいです。

 17日巡行の日は、1週間1回の仕事日に当たるので、通勤の車が渋滞しないことを祈るのと、友人二人(一人は山鉾連合会の理事長)が巡行について羽織袴で歩くので、カンカン照りではなく、予報のように雨の方が良いかもしれません。

やっぱり負けましたか

 ウエールズ代表を迎えての昨日のラグビー第2戦、やっぱり無理でしたね。 後半に相手のミスによるこぼれ球を拾ってのライリーの独走トライで、行けるかもしれないかもとは思いましたが、そこまででしたね。

ウエールズ選手が試合終了と同時にえらく喜んでいたのが印象的でしたが、ウエールズも連敗で切羽詰まってたんですかね。

 1週間前のウエールズ戦に勝って、世界ランキング12位になった日本ですが、これでまたどうなるか分かりません。 

 3年前に来日したオーストラリアA代表に勝った試合は大阪まで家内と長男とで観に行きましたが、(そうその頃は家内はまだ普通の人でした)今年の秋にはオーストラリア代表が来日、弱くなってるオーストラリア代表ですが(8位)これに勝つのは難しそうですね。 

それなら秋の欧州遠征でもう一度戦うウエールズと五分に戦い、今は11位のジョージアに勝って、何とか世界ランキング12位以上を維持してもらいたいものです。 

参議院議員通常選挙

 今年はまだセミが鳴かないと、いろんなブログで書いてますが、確かにまだセミの声を聞いていませんね。

 参議院議員通常選挙は7月20日(日)が投票日ですが、家内がデイに行った7月5日(土)にもう期日前投票を済ませました。

 この京都市左京区の総合庁舎も、自転車なら5分もかからない所にあるので便利ですし、皆さん親切ですね。

 結婚するまでは、選挙はほとんど行かない生活でしたが、結婚してからはずっと二人で行ってましたので、なんか一人で行ったのに、投票済ました後出てから、しばらく前で立っていましたね。

 出口でこんな投票済証を貰って帰ったのですが、特に使うことなく、帰ってすぐにごみ箱行きでした。

 奈留島では、離島で集計が遅くなっては困ると、投票日はだいたい1日前の土曜日でしたし、投票箱の写真も尋ねると許可もされて、投票箱に入れてる私の手と共に、ブログにアップしてましたが、さすがに京都では、投票場内の写真撮影は禁止でした。

 長期政権は絶対に悪化すると思うので、20日にはもうセミも鳴いていて、自民党も泣いてる結果になることを祈ってます。

 しかし阪神強すぎて、スリル感の乏しさを嘆いてます。

喜寿

 本日7月8日火曜日、恥ずかしながら77歳になりました。

ややヘロヘロですが、何とか喜寿はクリア、傘寿も何とかクリアする予定ですが、卒寿はちょっと無理なようです。

お祝いは6日に娘家族が来て祝ってくれました。

写真の5番目の孫、その日2本もホームランを打った阪神の森下選手に似てる気がしてきました。

 1週間前の金婚式も同じケーキで祝ってくれましたが、その時は6月なので、ちょっと高めの水無月も有りました。

 喜寿のお祝いの時は、涼しげなお菓子浜土産(ハマヅト)も付いてきました。

 喜寿当日の今日は、4ヶ月ぶりの麻雀で、友達からの誕生祝で、ちょっとだけ勝たしてもらいました。

 家内からのお祝いの言葉は無理ですが、まあそれなりの喜寿でした。